三鷹・吉祥寺・武蔵野 平松ピアノ教室 講師紹介

大阪府茨城市で生まれる

姉妹の長女

父親は会社員

母親は専業主婦

とても仲の良い家族だった。

 

突然の別れ

そんな仲のいい家族に神様はとても辛いことを

まさかの4歳の2月、父が不慮の事故死。

あまりの突然のことだった。

 

幸いなことに母の親戚たちが、目いっぱい支えてくれた。

母子家庭でありながら、不足感をあまり感じずに過ごせた。

和歌山に引っ越す。

 

父の遺志を継ぎ・・・

父の生前、家におもちゃのピアノがあった。

それを私が遊び弾きしていた。

従兄弟のお姉ちゃんが当時ピアノを習っていたがあまり好きではなかったよう。

好きで弾いている私をみて父が、

「娘にはピアノの才能がある!」と言っていたとのちに祖父母から聞く。

 

喪に服す中、5月にはピアノを習いに行く。

アプライトピアノも届いた。

祖父母たちは、私がピアノを弾いている姿を父に見せたかった

と言っていた。

 

母子家庭

私たち姉妹は小さかったこともあり、父がいない寂しさをそれほど感じることがなかった。

それは、母のおかげでもあったと思う。

それまで専業主婦だった母が、専門学校に行き始め、幼稚園教諭の免許を取り、幼稚園の先生になった。

 

小学校2年の時に、引っ越し、新しいピアノの先生を探す。

今度の先生は、大阪音大卒業の先生だった。

厳しくも愛のある先生で、大学入試までお世話になった。

中学時代 吹奏楽部にのめり込む。

トランペットを吹く。

日曜日返上で練習。

その甲斐あって初めて吹奏楽コンクールで銀賞。

貴重な思い出。

また、合奏で伴奏を引き受けたりと、音楽どっぷりの生活。

 

順調に高校に入り、ここでも吹奏楽部へ。

この頃からピアノの先生に誘われて音大を目指すことになる。

 

大学 挫折

大学は恩師と同じ大阪音楽大学短期大学部器楽科(ピアノ)に入学。

希望に夢膨らむも、ピアノに対する姿勢に講師との違い(自分の未熟さ)

や同門とのレベルの違いを目の当たりにし練習することに自信を失う。

4年制に編入も考え取り組んだが、挫折し卒業する。

 

卒業後はバブル期のあおりもあり一般企業に就職。

入社当時は仕事に慣れるまでピアノを弾くこともなかったが、ある職場組合での文化祭で演奏することになり、これがきっかけでピアノを弾き始め、教えたいと思うことになる。

それから程なくして教えることになるが、仕事との両立がうまく行かず、長続きすることはなかった。

 

結婚

29歳でイタリア旅行で出会った人と結婚。

出産を機に一旦ピアノレッスンは中止するが、育児休暇を使い仕事は続ける。

一男一女の母となり、仕事と子育ての両立をしていた。

 

35歳になり、夫の東京転勤。

単身赴任で二重生活をしていたが、

長男の小学校入学前に仕事を辞め、家族で上京する。

 

東京での新生活

37歳の時、家族で東京での新生活がスタートする。

しばらく専業主婦となるが、パート勤めをしながら

子育て。

引っ越しをしてアップライトピアノを購入し弾きはじめる。

ママ友も増え、ピアノを習わせたいという声がかかり2名ほど教え始める。

 

46歳頃から体調不良になりパート勤めが苦痛になり、きっぱり辞めてピアノ教室をしたいと真剣におもい始める。

48歳(現在)、午前中は家事 午後からピアノレッスンをする生活スタイルになる。

 

現在述べ30人生徒を教る。

 

子育て

2児の母。高校生の娘が一人。 息子は私立東京電機大学付属中・高校に通い 2019年から早稲田大学生となる

 

ピアノへの思い

小学校2年で引っ越しを機にピアノの先生と出会い、ピアノや音楽に対する意識が 変わり、ピアノの先生になりたいと思えるきっかけになった。 私もその先生の意思を受け継ぎ、お子さんから大人の方までピアノが好きと思ってもらえるような教室にしたいと思う。

 

生徒さんの学校

国立東京学芸大学附属小学校

私立晃華学園小学校

三鷹市立高山小学校

三鷹市立第一小学校

三鷹市立南浦小学校